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プロフィール

Photo by 辻繭子

スタジオ・グラシア主宰

宮田 恵

みやた めぐみ

群馬県 渋川市出身

ダンサー。探究者。
フラメンコによって踊りに目覚め、スペイン・中東に移住。キブツに暮らし、イスラエルとパレスチナ難民キャンプでフラメンコを教えながらダンスこそが平和への道だと気づく。2014年日本にムーブメント・メディスンをもたらし、誰の内にも生きる“ダンサー”を目覚めさせるワークを各地で行い、平和を生きる礎を築いている。
英語・スペイン語・ヘブライ語を話し、国境を超えて人と人、文化と文化をつなぐブリッジ・ビルダーとして場づくりを行っている。

ムーブメント・メディスン®公認ティーチャー
TaKeTiNa®公認ティーチャー
初潮のセレモニー アソシエイト・セレモニスト
NPO法人セブン・ジェネレーションズ理事

経歴

1996年 パリ“Centre de danse du Marais”にてブランカ、アドリアン・デ・セビージャのもとフラメンコを始める
2000年 イスラエル南部のキブツに移住
2003年 ~2006年 クリスティーナ・ヘーレン財団(Fundación Cristina Heeren de Arte Flamenco)にてミラグロス・メンヒバル、カルメン・レデスマ、チョニ、ヨランダ・ロレンソ、ラファエル・カンパージョらに学び、フラメンコ理論をペパ・サンチェスに学ぶ。その後マニュエル・ベタンソスに師事。
その他、ファルーカ、ソラジャ・クラビホ、アンヘル・アティエンサ、ダビッド・ペレスらにも学ぶ
2007年 イスラエルのアダマ芸術学校、クリエール舞踊学校でフラメンコを教える
2009年 シルヴィア・バロッホとラファエル・グラオと共に<アロマ・デ・ムヘール>を製作、イスラエルを巡業 様々なフェスティバルでフラメンコと感情表現をテーマにしたワークショップを開催。
パレスチナへ移住。パレスチナ・ベツレヘムの“テント・オブ・ネイションズ”でボランティア活動後、アイーダ難民キャンプに住み子供達と女性にフラメンコを教える
2010年 日本に帰国しスタジオ・グラシアを設立
英国School Of Movement Medicineに通い始める
2016年 ムーブメント・メディスン®公認ティーチャーとなる
La Truco のel ciclo de Julioに参加
2017年 フラメンコと日本の神話の融合「Flamenco天の岩戸開き」チャリティー公演
チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム ファシリテーターとなる
2018・2019年 ムーブメント・メディスン®全国ツアー開催
2022年 TaKeTiNa®公認ティーチャーとなる
ムーブメント・メディスン ®Apprentice Leaderとなる
2024年 TBAC(初潮のセレモニー・プログラム)終了
2025年 Flow Game ファシリテーターとなる
2026年 NPO法人セブン・ジェネレーションズ理事

ダンスへの思い

出会い

with Carmen Ledesma Photo : Niovi Benou

私がダンスを始めたのはフラメンコへの興味からでした。
他のダンスにはまったく興味がなかった私が何故か
「いつかはフラメンコを踊ってみたい!」
そう10代の頃から心に決めていました。

そして現実にフラメンコと出会ったのは最初の師・ブランカを通してでした。当時パリの郊外に住んでいた私はフランス語を学びにパリの図書館へ通っていました。その図書館の近くにあった“Centre de danse du Marais―マレ舞踊学校”でブランカと出会ったのです。小柄で痩せ型、身長が飛びぬけて大きくない私でさえ彼女を見下ろすようでした。しかし彼女の存在感は誰よりも大きく、その目はいつもギラギラしているのです。

@Fundación Cristina Heeren Photo : Niovi Benou

当時髪を赤く染めていた私はすぐさま彼女に“キャロット”と名づけられ、フラメンコにも、踊りという世界にも縁がなかった私を彼女はすぐにその腕に迎えてくれました。

面白いのは、実際彼女が踊っているのを見た記憶は残っていないのです。彼女の娘タチアナと旦那さんのアドリアンが常に踊って見せ、彼女はいつも私達生徒の方をあのギラギラした目で見つめては突然“キャロット!その手!!!!”と叱咤するのです。 あのブランカの情熱というか生命力こそが、私をフラメンコにのめり込ませるきっかけでした。

救い

フラメンコをもっと踊りたい、その為にはフラメンコが生まれたところへ行かねば!そう決めた時、“私のフラメンコ探し”が始まりました。
スペイン南部アンダルシアの首都セビージャへ行き、学校にも入る手続きをしてから私の中で「どうしてフラメンコなのか?」という自問が湧き起こったのです。
その答えは、時間をかけてやってきました。

それは“救い”でした。
ラメンコの舞台を見ると、歌い手・踊り手・ギタリストまでが怒りや痛み・喜びそのものを顔・身体・リズムで表現しているのです。表現と言うよりも、そのものとなってしまっている、それを“生きている”と感じたのです。
「こんな風にありのままをさらけ出していいんだ・・・・・・」
かっこ悪さも、低俗さも、醜さも、すべてひっくるめたその“人間の生きざま”を 私はフラメンコに見たのです。

同時に私も、その許可を得たように思えました。
あるがままでいいのだ。
怖がることも、自分ではない誰かや、何かになる必要もない。
“私自身”を世界に表現していい。
探していた答えはこれでした。
私自身として生きることの許可を、私はフラメンコで見つけました。

願い

フラメンコだけではなく“ダンス”そのものへと大きく可能性が広がったのがイスラエル・パレスチナに住んでいた時です。虹のように様々な民族や文化が色鮮やかに共存するこの2つの国で、幸運にも、キブツという共同体で暮らし、100人弱のメンバーと家族になりました。
人と人が共に暮らすことは大きな喜びであり、それに伴う難しさを完全に凌駕していました。キブツというシステムを生み出したユダヤ人の歴史、宗教、伝統、そして迫害を生き延びてきた故の寛大さや逞しさを受けとり、地上の天国のような暮らしをしていました。素晴らしいアーティストたちともコラボし、舞踊学校やフェスティバルで踊り教える中で、私の中にある深い願いに気が付きました。

「ダンスを通してこの世界に平和をもたらしたい」

紛争が繰り返されてきたこの2つの国では、存在を脅かされる恐怖がいつも隣にある。兵士となり、命を奪い、奪われた家族や親戚がいない人はいない。
それはイスラエル側も、パレスチナ側も同じ。

そんな状況を変えなければならない。
元々外国人である私に、何ができるのか。重い歴史と、国という単位の大きさに押し潰されそうになる中で、私一人でもできることは何か?そう思いを転換し、まずはパレスチナにボランティアとして暮らし始めました。

そこで、私は人生の指針となる言葉と出会います。

「We refuse to be enemies(私達は敵になることを拒否する)」

これは、テント・オブ・ネイションズのナサール家のモットー。
ダウッド・ナサールは私たちに言いました。
「相手が何をしてこようと、僕たちが彼等の敵という立場に自分を置くことをやめる時、全く新しい関係性が生まれる。」
壮絶な土地を巡る嫌がらせや暴力を受けてきたパレスチナ人のナサール家は一丸となって、何があっても他者を憎まず、暴力ではない平和という選択肢を選び続けている。

ナサール家だけではありません。パレスチナでも、イスラエルでも、平和への行動をやめない人たちがいる。現実にその人たちに出会い、共に暮らすことで、私の中に確実な平和への希望が生まれました。

それは私を次の一歩へと、背中を押してくれました。

平和の道としてのダンス

フラメンコを踊ることで、私には確信がありました。

踊ることは、人を癒す。
踊ることは、人を力付ける。
踊ることは、自分が何者かを教えてくれる。
踊ることは、あらゆる境界線を越える。

テント・オブ・ネイションズのサマーキャンプで子供たちと踊ることで、
「ダンスを通してこの世界に平和をもたらしたい」
この願いに火がつきました。

難民キャンプで子供達や女性と共に踊りたい。
ダンスという、言語を超えたところで繋がり、希望の火を灯し続けたい。
踊ることが希望となる、平和の道としての“ダンス”を探求し始めたのです。

ムーブメント・メディスン(以下MM)と出会ったのは、そんな時でした。当時教えていた舞踊学校の秘書である友人が言ったのです。
「恵、これはあなたの為にあるようなものだよ!」
その言葉に導かれ、私はドイツでMMの最初のワークショップを受けに行きました。

創始者の一人であるスザナが教える“Wild Life”。私たちの中にある野生の生命をダンスを通して再発見し、健全に表現する方法を学ぶ3日間のワークショップでした。初日、踊り始めてすぐにはっきりと分かりました。
「これをいつか私は教えるようになる」
私の人生の方向が大きく変わった瞬間でした。

世界を旅する中で、分かったことがあります。
この世界で平和を願わない人はいない。
そして誰もが安心して生きる喜びを享受することを生来望んでいるということ。

「ダンスを通してこの世界に平和をもたらしたい」
この願いは、今は少し形を変えました。

私が世界に平和をもたらすことはできない。
唯一可能なことは、自分の内側にあるゴツゴツとした苦しみの種を除き、平和を選び続ける力を持つこと。自分の内なる平和と、世界の平和は相似形であるならば、世界を変える救世主になるのではなく、一瞬一瞬、平和を生きることを選択し続けることが、この世界の平和となる。それを仲間と共に支え合いながら、続けていくこと。

これからもダンスを通して、その礎を築いていきます。